劇団雌猫さんの新刊、『悪友 vol.3 東京』を読みました。劇団雌猫さんの本は、浪費・美意識・恋愛、あと『浪費図鑑』、すべて持っており、端的にいうとただのファンです。(関西イベントのチケットもとりました。)
新年明けましておめでとうございます。今年も劇団雌猫、悪友、浪費図鑑をどうぞよろしくお願いします〜🐱💕 boothにて通販中の「悪友vol.3 東京」の感想も楽しく拝読してます!https://t.co/iwlyqzGbmQ
— 劇団雌猫@新刊「悪友 東京」通販開始 (@aku__you) 2018年1月4日
私にとっての東京ソングは『Tokyo holic/関ジャニ∞』。東京は物語が始まる場所で、夢みたいな時間が流れ、キラキラの夜景をつくる人々は、見栄っ張りで置き去りにされまいと必死で、それでも右肩上がりを信じて刺激的な毎日を送っているんだろう—
そんな生活は私には絶対に似合わないし、I don't like you, Tokyo!だよちくしょう、と思っていました。
そもそも、東京の「東京がいちばん」感が嫌いでした。あんな狭い土地にあるお店が次々紹介されるテレビも嫌いでした。当たり前のように自分たちのテレビ局を「8チャン」というのも嫌いでした。面白そうなイベントが乱立しているのも嫌いでした。ロフトプラスワンとかこっちにはないよ、どこでやんの?公民館?みたいな。所詮私たちは文化を生み出す側にはなれないと思いました。東京から与えられるものをただ享受するフォロワーにしかなれないんだなと思いました。
刺激的な日々がとても羨ましくて、激しく嫉妬していました。それでもやっぱりそこにいる自分は想像できませんでした。きっと、東京は私を受けいれてはくれない。
なんていうか、クラスの人気者見てる気分です。東京は、可愛くて、スタイルも良くて、家もお金持ちで、オシャレな服をたくさん持ってて、かしこくて、運動もできて、いつもたくさんの人に囲まれている、そんな子。それならこっちはサブカルに走るしかないじゃんって感じ。いや、サブカルの中心は東京なんだけど、そういうことじゃなくてね。
東京、というよりも、東京っぽいもの、に対する憧れなのかもしれないです。
だから、東京に住みたいかといわれると、別に、だったりする。
だって、東京に住んでいなくても困ることなにもないし。
悪友をよんで、東京について考えました。
東京ってだけでこんなに胸がざわつくのはなんでだろう。それなのに、東京に住もうと思わなかったのはなんでだろう。
もしかして、私は、今の生活にわりと満足してるのかもしれない。でもどこかで東京ちゃんへの憧れや嫉妬がすてられないのです。
そこまで考えて、やっと、素直に、I can't hate you, Tokyo!と思えました。東京ってそんなに悪い子じゃないのかもな、と思えました。ただ、ちやほやされていることがムカつくだけで、明確に嫌う理由もなかったのかもしれないなあ、と。
Tokyo holicはとてもよくできた曲です。等身大の焦がれた気持ちが投影されているようで、すこしファンタジーのようです。ここで表現されている世界が、いわゆる多くの人が想像する東京で、東京が持っていて欲しい物語なんだろうなとも思います。
きっと、私と東京の距離はかわらないまま。たまに悪態をつきながら、それでもI can't hate you, Tokyo!なのでした。
ちなみに、私のジャニヲタ生活においては、今の住みかはそんなに悪くないと思っています。自担は5大ドームがメイン会場なので、東京に行かないと見られないものってあんまりなかったりします。5大ドームの前では東京も我々も平等。メディア出演はいまどきどうとでもなるし、関西出身の彼らの意識は西高東低だ(とされている)から、ファンとしても東京に焦がれる気持ちが少ないです。舞台や映画の舞台挨拶、番協なんかはちょっと大変だけど、私はコンサートを1番重視してるので、わりと執着せずいられています。(年に数回の東京遠征くらいなら、不自由なし。)
ただ、それは、地方都市である名古屋に住んでいるからかもしれない。地元に住んでいたら、きっと、もっと外に出たい!と思ったでしょう。今も、東京に住まなくてもいいけど、新幹線が通っていないところに住むのは嫌だな、とは思います。って思ったんだけど、「ちょっと行ってみようかな」って動くのは難しいことが多いです。名古屋は平日公演なることも多い若手グループのコンサートは、行きたい行きたいといいながら、なかなか足を運べていない。。。そう思うと、東京に住んでいたら世界はもっと広がるのかなあ……そのとき、自分をコントロールできるものなんだろうか……。