与えよ、あ、でも与えられなくても結構です、という関係

この間のねほりんぱほりん「ホストに貢ぐ女(後編)」で、出演者の一人が「ホストとの関係はGive & Takeがはっきりしていていい」と言っていた。お金を払えば払うだけその分見返りがある関係ということ。たしかに基準がはっきりしてる間柄って楽だしいいよね、その気持ちめっちゃわかる……けど一方で、GiveしてもTakeされない心地よさもあるよなぁということを考えている。

 

ジャニーズ(特にデビュー組)のタレントとファンは、数ある応援対象の中で、わりかし「GiveしてもTakeされない」関係を築く方だと思う。もちろんお金を払うからこそコンサートにいったり曲をきけたりするんだけど、Giveに対してTakeが間接的。支払った金額と与えられるものが必ずしも比例しない。ステージど真ん中もドーム5階の最後列もチケット代は同じだし、いっぱい会いに行ったからっていっぱいお礼を言われるかというとそういうわけではないし。CDを買うことと、自担がセンターで歌うのはまた別の話。*1

 

どこまでいっても一対複数の関係である。彼らが私の目を見て「好きだよ」と言ってくれることはないかわりに、「嫌いだよ」と言われることもない。彼らから直接傷つけられることがないということと同義でもある。自分の行為があんまり相手に還元されないこと、相手の行動が自分のパーソナルスペースまでは決して届かないということがとても快適だったりする。「好きだよ」と直接言うよりも、万が一の可能性で「嫌いだよ」と言われることを恐れているのだと思う。彼らからみた私はファンという塊の一部であり、彼らの生きる世界に個では存在しないことにとても安心する。*2

それは、恥をかくことがないというのとも同義で、コミュニケーションにおける「なんであんなこと言ったんだろう死にたい……」みたいな気持ちが対ジャニタレにおいて発生することはほぼない。私は「過去を思い出しあー!となる人々」というmixiコミュにはいっていたくらい、人とのやりとりを後で思い出してぐずぐず悩むことがよくあるが、ジャニタレにおいては、好きだのなんだの、気持ちのままででのびのびと接していられる。 思い出はいつも綺麗なまま、というか。余計なお世話だろうけど、接触イベント中心のアイドルを追いかけている人たちは、イベントのたびに自己嫌悪に陥らないのだろうか。好きな人と同じフレームにおさまりたくないと思ってしまうんだけど、本人に「好きだ」と伝えることは、そんなしょうもない自己嫌悪も吹っ飛ばすくらい楽しいことだったりするのかなあ。

 

まぁなんというか、安定したルールに基づいた関係を求めるというのはジャニーズもホストと一緒なんだけど、そこに行き着くまでのルートが正反対。ハイリスクハイリターンとローリスクローリターン、全く違うのは面白いなあと思っている。

 

Give & Takeでないことで、過度な競争からフリーになれるっていうメリットもある。それ以上に、本人たちによって感情がマイナスに振れさせられることがないっていうのが、ジャニーズの良さなのでは?

 

最近2.5次元とかK-popとか宝塚とか、お隣にある異文化の話をたくさん聞いて、あらためて、うちってどうだろ?と考えてみた。言い方はとても悪いけれど、商品が商品でいてくれるというのは、実はとても健やかなのではないか。無責任にリスクなく愛でられる対象は、結構貴重なのかもしれないなぁとぼんやり思う。*3

*1:この前参加した劇団雌猫さんのイベントでニャンキャットさんが「買い支えている気持ちはあんまりない。自分が払った分が直接本人に支払われるわけではない。」とおっしゃっていて、ひどく納得した。

*2:もちろん、熱愛報道やファンアンチのゴタゴタで精神がすり減ることはあります。。。

*3:ただの安定期ぬるま湯ジャニヲタが環境に甘んじているだけともいえる。ただ、それでも十分世界は回っていたりもする。