「忘れてもらえないの歌」を見てきました

安田章大主演舞台「忘れてもらえないの歌」、前半の東京を見に行った時は、こっち側の情緒の問題もあり、安田くんの歌を聞くだけで涙をボロボロ流す人になってしまった上に、話の救われなさに引いてしまって、ストーリーを追うことしかできなかったのですが、本日の大千穐楽はそれよりも少し落ち着いて見たことにより、印象的なシーンとか感想とかを考えながら見ることができました、ので、それを書き残しておきます。

 

タイトルの「忘れてもらえないの歌」は「誰にも歌われることがなかった、つまり誰も聞くことがない=記憶に残ることもない、だから忘れられるということもない歌」というレトリックです。私は、「忘れてもらえないの歌」の反対が「思い出になる歌」なんだなと思いました。

最後、「みんな笑ってセピア色にしておけばいい思い出になる」と言って、再び集まったバンドもバラバラになってしまうのですが、その時、滝野以外はセピア色なのに滝野はセピア色になれないのがとても印象的でした。滝野はいい思い出にもなれませんでした。「思い出を振り返るときだけが人生の楽しみ」なのであれば、滝野の人生の楽しみは?音楽は楽しいと言っていたけど、思い出として振り返ることのできる音楽はあるのでしょうか?元パンパンガールの麻子は当時の同僚に「私を思い出みたいに言わないで。私はまだその中にいる」と言います。滝野もまだその中にいるから思い出にはなれない。仲間も仕事も失った滝野はどうやって生きていくんでしょうか。つらいときに心の支えになるのがセピア色の思い出だとしたら……カモンテに夜は墨染を忘れてもらえる歌にしてもらえたけど、どこまで救いになったかは正直わからないです。

 

滝野は音楽が好きだったのか?に対しては、「生きるのが好き」が答えなんだろうなぁと思っています。生きるためにお金を稼ぐ、生きるために心をいっぱいにする。音楽はどちらの手段にもなり得たので、滝野の中では筋が通っているんだと思いますが、いちばん周りの理解が得られなかったのもこの考え方でした。良仲は自分のやりたい音楽ができないのであれば死んだ方がマシとまで言った一方で、滝野はまず生きることが大前提だし、生きなければやりたい音楽をすることもできないと思っているはず。「生きている」という状態の理解を得るのが一番難しかったのかなぁと思います。心が空っぽの状態は幽霊と一緒で、きらめきで心をいっぱいにすることが生きることであり、きらめき=音楽=好きなものである以上、「音楽が好き」というのも嘘ではないのですが、周りからみたらお金を稼ぐための音楽にしか見えないところはあったんだろうな。実際、デパートの屋上での演奏にきらめきはあったのか?レコードを出すというチャンスは得られそうだったので、それ自体がきらめきではなく、きらめきを得るための順序だったのだと思いますが、滝野と同じくらい先を見通せる人でないとわかってもらえなかっただろうなぁ。安定的にお金を稼げるようにするために試行錯誤しているうちに、周りが疲弊してしまうの、わからんでもない。。。滝野はメンバーから音楽を通してきらめきを教えてもらってたけれど、メンバーはそもそもきらめきをすでに知っていたり持っていたりして、閾値の違いもあったような気がします。2幕はじめで滝野以外のメンバーは夢を語るのに、滝野だけは「夢はない、生きるために床屋をしている」と言っていたのも気になります。あのシーンは解釈がわかれる、というか、わたしには読みきれなかったんですが、とりあえず、滝野とそれ以外のメンバーの差を感じるシーンのひとつでした。

 

正直、まじで、この話、きつかった。安田くんは自身の連載ではっきりと自分と滝野は別物だと言ってくれていますが(優しい)、それでも好きな人が、周りを考えて良かれとおもってやってきたことが、間違っていないはずなのに、少しのタイミングのズレと周りの理解不足により(これもタイミングによるものだと思う)、ことごとくうまくいかなくて、最終的に絶望が襲いかかるのは本当に本当に本当に悲しかったです。滝野が困ったように笑うたびに、胸が締め付けられました。頼むからそんな風に笑わないでほしい。「滝野さんは困るほど笑う」なんてメンバーに言われていたの、わかってたならなんとかしてよって思うけど、でもメンバーも「自分を幸せにするので精一杯」な状況だったから、仕方がないんですよね。わかってるんだけど、うまくいかなさや、滝野が必要以上に背負ってしまうところが苦しかった。どんだけ1幕で終わってくれ〜〜〜〜って願ったことか。。。普段好んで見るテイストの物語でなかったのでかなりショックをうけたし、今もどうやって受け止めたらいいのかはわからず、思考はぐるぐるしています。安田くんは「エネルギーを届けたい」と言っていました。形や方向性はどうあれ、エネルギーを受け取ったことは確かなので、これでいいんだ…と思ってはいますが、にしても、すごい舞台だったな。

一番好きなシーンは、麻子が「時代とかじゃない、私が選んで体を売ってきた」というところ。自分の選択に責任をもつことでプライドが生まれるんだ!と思うと、希望でした。

 

 

なんか、やっぱり噛み砕くのに時間がかかりそうで、あまりうまくまとまらなかったけど、じわじわと体に染み込んで、これからの人生でふと思い出し、じーんとしそうな舞台でした。2カテコでひとりひとりの名前をいつも呼んでるとおりに紹介し(銀粉蝶さんを「ぎんちゃん!」と呼んだ時、距離の詰め方にギュッてなった)、周りの幸せを願って欲しいという姿は、相変わらずいつもの安田くんで、とてもかっこいい座長でした。本当に、見てよかったなと思います。